平成30年度                         平成29年度                         平成28年度                         平成22年度                         平成21年度                     
   


―平成十四年十月十三日空外上人一周忌別時念仏会講話要録―
念仏と空

河 波 定 昌


「空」とは何か
 空外上人様を語るうえで、これ以上の題はないと思います。一生涯念仏の行を貫いてこられた空外上人の名前が空外。空だけでとどまらない、空が働きだして空外となるのです。
 『空』とは、一方ではほとんど呪文化して、何でもかんでもいいから称えていればご利益があるという呪術的な受け取り方と、もう一つは理屈です。学者たちがああだこうだと分析していく立場。
 ずっと以前ですが、中村元先生が編集された、上下二巻になった空についての本がでています。日本の第一流の学者たちが総動員して、「空とは何か」ということを論じた本でございますが、非常に専門的な本ですから理論の面に終始し、私たちの生活の中にもなかなか入ってきません。
 『空』ということは非常に大事なことですが、呪術的に広がっているか、学問的に広がっているか、どちらかです。
 しかし、そうでなくてお念仏の中から、生活の中から、人格の中から、ほとぼりでるように出て、私たちにお説きくださったのが空外上人の『空』です、『空』ということはわたしたちにもわかりにくいのですが、空外上人を拝察しておりますと、そこに『空』が働いているということが良くわかります。
 空外の外は、「外」という字ですね。最晩年、私も一、二度説明していただきました。『空にとどまっている間はそれは空ではない。空が、現実の中に働きだしているところを空外というんだ。』それは本当のところ、ご自分のことをおっしゃっていたとも言えるのです。
 それで、「空と念仏」ということをこれからお話しようとしているところですが、ほんというと空外上人を見ていればいいということになるんですが、そう言う訳にいきませんから、少しお話しさせていただきます。

「お念仏」と「空」
  はひとつ

 私はお念仏と空とを別々に考えるようになったのが一番の問題だと思います。日本の仏教はどちらかというと、浄土宗とか真宗の人はお念仏をしますね。それから禅宗の人は般若心経をあげます。二つに分かれてしまったような感じがします。
 これは日本の仏教にとって最大の欠陥であると思います。お念仏をしておれば、自ずと空が働き出してこなければ嘘である。空を実践しているということは、実はそこにお念仏が生きて働いているということでなければならない。本来の仏教は、最初からそうだったんです。
 それが、いつのまにか二つに分かれてしまった。今の浄土宗では、般若心経は称えません、そう宣言しています。浄土真宗はお念仏を称えますので、般若心経を称えません、宗派として。浄土宗はまだ般若心経を称えますが、そのほうがまだ正確です。
 それに対して禅宗の人たちは般若心経はあげますけれども、あまりお念仏をしないですね。でも、禅宗をつくっていた最初の人たちは、お念仏を実践していたのです。
▲トップに戻る

「お念仏」が「空」
 だし「般若心経」
  が「お念仏」

 中国で禅宗がおこってきます。一番最初は達磨(だるま)ですね。第一祖達磨、第二祖が慧可禅師(えかぜんじ)、そして第六祖が慧能禅師(えのうぜんじ)、ここで禅宗というものを形づくっていくんですね。その達磨さんと、慧能禅師の間に第四祖、道信(どうしん)・(580〜651)という方がいらっしゃるんです。実はこのあたりから禅宗は、はっきりしてくるんです。
 中国の人たちは、大袈裟で、でっち上げが上手なんです。誇大妄想化するんです。白髪三千丈なんていいますが。白い髪が三千も伸びるなんていって、実は三十センチなんですけどね。南京大虐殺、二十万、三十万とか。あれも私は、誇大妄想だと思うのです。発表する毎に増えていくんです。東京裁判では、南京大虐殺は、音沙汰にもなりませんでした。途中、発表するたびに、人数が変わっていく。ですから本当に正確に、客観的に調べることが大事です。禅宗がどうしておこってきたかをしらべると、第四祖あたりが大事なんですね。そこに、どのようにして悟りを開いていったか、そういうことを調べる資料があります。『般若経』というお経があります、それから『般若心経』がありますが、このお経ができたのは紀元四百年ごろです。インドですから年代ははっきりしないんですが、一番最初の般若経(八千頌般若経)ができてくるのは、紀元前一世紀の後半。大乗仏教がはじめてインドにおこった頃にできたこのお経に、初めて『大乗』という言葉がでてきます。それから、『空』という言葉がそこで初めてでてくるんですね。「大乗仏教の独立宣言の書」と言ってもいいくらいです。それが、紀元前一世紀の後半。それから、般若心経ができるのが紀元四百年頃です。四百数年にわたって最后に般若心経ができていったわけです。その般若経はよまないんですね。真宗のかたは、浄土三部経しか読みません。
 しかし、この膨大な般若経を読んでいきますと、無数にお念仏がでてくるんですね。そして、お念仏の実践の中から空がでてくるんです。これは非常に大事なことなんです。
 しかし、宗派仏教になって真宗のひとは般若経を読まないし、浄土宗の人もあまり読みません。禅宗の人はお念仏の本を読みませんから、両方とも片手落ちもいいところです。
 しかし、お念仏が空だし、般若心経がお念仏だということです。
▲トップに戻る

「空」の悟りと
「お念仏」の悟りは
 ひとつ

 『無量寿経』というお経があります。これは浄土三部経の中にありますが、浄土宗ではその一部ですが必ず毎朝あげるお経です。
 無量寿経と申しますのは、五存七欠(ごぞんしちけつ)、といって十二回訳されました。五つだけが残って千年も二千年もの間に七つが無くなってしまったんです。五つだけは、読むことができるんです。それからサンスクリットがあります、チベット訳もありますから、それを入れると、七存七欠(ななそんななけつ)ですね。わたしたちが読んでいるのは、魏の時代に訳された、魏訳を読んでいます。
 五つの残った経典は、お念仏のところが必ずしもお念仏として残っていないんですね。魏訳では、例えば「そのとき世尊、念仏三昧に入った、去来現仏 仏仏相念(こうらいげんぶつ ぶつぶつそうねん)、」ということばがでてきます。仏様と仏様の間にいる。私たち凡夫が仏様を拝んでいると思っているんでしょう。でも、それはできない相談ですよね。仏様になるということと一つになって念仏が成立します。これを、『念仏三昧』と説きます。
 ところが、同じお経の別の訳を読んでいますと、『大寂静三昧』というのがでてきます。我々は、魏訳しか読みませんよね。そうすると、ある経典には『念仏三昧』とでてくる。ところが同じ箇所で『大寂静三昧』というふうにもでてきます。つまり、そこで空の悟りと念仏のさとりは一つだったということがわかります。
 お念仏を称えることは、般若心経を称えることで、般若心経を称えることは、お念仏をとなえることなんです。
 私たちが禅と念仏を分けるようになったのは、道信よりあとになります。実はその道信も念仏をしていたんですね。
 『文殊般若経』と言うお経があります。これは般若経ですね。読んでいきますと念仏三昧と書いてあります。実に無数の般若経にお念仏が書かれています。文殊般若経を道信という方がお読みになっていると、そこにお念仏がでてきます。その教えに従って実践されていったんです。『一行三昧(いちぎょう ざんまい)と申します。玄奘三蔵は『一相荘厳三昧』(いっそうしょうごんざんまい)といっています。如来様は本来お姿には見えないから、つかまえどころがないでしょう。
 しかしながら如来様の方が、私たちの目に見えるように、おん現れて下さり、それに心の集中ができますね。そこのところを、『一相荘厳三昧』といいます。
 目に見えない如来様に触れるのは難しいですね。触れようがないですものね。しかし、如来様の方が、私たちの現前に相対し給う。これが大乗仏教の出発点です。
 そうすると、空の世界が開けてきたというのです。これは、初期の中国の禅宗ができあがっていく一番最初の頃の原点(楞伽師資記)というものを読んでいきますとわかります。ああ、こういうふうにして道信は悟っていったのかということですね。
▲トップに戻る

 お念仏をしていると
『空の世界』が
 開けてくる

 私たちの考えているダルマさん、というのは後でつくられた虚像です。第六祖慧能禅師の弟子たちが、勝手に今で言うダルマさんのイメージをつくったんです。
 一番古い達磨さんというのは達磨さんが亡くなって十五、六年目にでてきた本に、「終日合唱して南仏と称える」と出てくる。お念仏ですよね。これがほんとの達磨さんです。
 さてそのように念仏していると、だんだん空の世界が開けてきます。それだけで、忽然として空寂の世界が開けてくる。
 しかしこれは、いまから千年も千二百年も昔のことではなく、私たちの中にも、お念仏を通してそういうことを経験した人はたくさんいます。
 たとえば、愛知県に萩野圓戒というお坊さんがいました。太平洋戦争のときにソロモン群島にいました。中隊長くらいですかね。部下が五、六百人いたといいます。ほとんど全滅して、最後、十二名残ったそうです。その十二名の兵隊も、アメリカ軍の集中砲火をうけて亡くなっていきます。その時の生き残りが荻野上人です。
 その場合もう何もすることができないので、一生懸命お念仏をしていたと言うんです。そうしたら、「忽然として、空の世界が開けてきた」と、おっしゃいます。恐怖もなんにもないですね。ただ、大寂静の世界が開けてきたと言います。
 お念仏をしていると空の世界が開けてくる、禅宗の始まりはここです。お念仏の中から禅がでてきたと言えるんです。
 しかしいったん空の世界が開けてきますと、お念仏が消えていくという事態がでてくるんです、これは当然なんですね。一切が空ですからね。何もかもなくなってしまうと、阿弥陀様もなくなってしまうというひとつの可能性がでてきます。禅宗はそういう方向をたどっていったんです。
 座禅の悟りもお念仏の中からでてきたにもかかわらず、お念仏の中に開けてくる空の世界の中に逆にお念仏が消えていって、お念仏はいらない、空だけでいい、という考え方がでてきました。
 中国的な発想なんですが、そういう人たちは今でも禅宗の主流になっています。たとえば、京都大学の久松真一という先生がそうですね。お念仏を否定されます。そういう教えをうけた人は、お念仏ができにくいんですね。
 たとえば、山崎辨栄上人のお弟子さまに、笹本戒浄という方がいらっしゃいました。東大の心理学をでて座禅をやっておられた。しかし、浄土宗僧籍もあり念仏にもご縁のあったひとです。
 最初に座禅の修行をなさって、深い悟りを得ていらしたんですが、兄弟子の方が、是非とも辨栄上人という念仏三昧の悟りを徹底した人に会わせてあげたいということでお連れするんですね。やっぱりご縁ですからそこで辨栄上人の教えにしたがってお念仏を始めるんです。
 ところが、臨済宗では自分の心の他に仏はないという教え方をしますから、お念仏をしても仏に対する尊重の心がおこってこないんです。私たち浄土宗は如来様を尊びますけれども、禅宗の人達は『心外に仏法なし』といったものがありますから、お念仏をしていますと、笹本上人も如来様にたいして、「この木偶の坊(でくのぼう)」という言葉がでてくるんですね。「こんなお念仏していても駄目だから適当なところでお念仏は切り上げて禅宗にもどろうかな」そう思ったんですが、辨栄上人が、「宗旨がえはいけませんよ。」とおっしゃったそうです。『他心通』といってひとの心がわかるんですね。お浄土の体験ができてまいりますと、それがでてくるんです。
 善導大師の発願文、『彼の国(かのくに)に到りおわって、六神通(ろくじんずう)を得て、十方界(じっぽうかい)にかえって、苦の衆生(しゅじょう)を救摂(くしょう)せん。』六神通の中に他人の心が見えてくる世界がでてくるんです。ほんとにそういうものがでてこないと、指導なんてできません。
 辨栄上人は、「宗旨がえはいけませんよ。」とおっしゃったが、笹本戒浄上人のような大者になられると、辨栄上人のような方でなければとてもご指導はできなかったと思います。
 しかし、辨栄聖者の教えをうけて、笹本戒浄上人は、深い悟りを開いていかれたということです。
 お念仏をしていると、その中に空の世界が開けてくる、念仏と空とは裏表一体なのです。

「空の世界」から
「回向」へ

 一番古い般若経の漢訳は、小品般若経(しょうぼんはんにゃきょう)です。このお経を拝読しますと、般若波羅蜜が体験されるときに、十万一切の諸仏を観ることができると書いてあるんです。小品般若経は一番古い般若経で、紀元前のことですから、今から二千年も前にできた経典です。
 この小品般若経のあとに、大品般若経、文殊般若経、大般若経六百巻、そして最後に般若心経ができてくるんですが、最初期の般若経から般若心経までの間で四百数十年間の歴史があって、ずっとその歴史をみていく必要があるんです。
 小品般若経という一番古い般若経、ここではじめて、『空』という思想が登場してきます。それから、『回向』というのも、初めてここででてくるんです。つまり、空の悟りがひらけてこないと、回向という言葉はなりたちません。逆に空というひとつの論理があるから、はじめてその上で回向が成り立つんです。
 小品般若経を拝読すると、般若波羅蜜が悟られてくるときに、十方一切の諸仏を拝み奉ることができるとでてくる。『見仏』ということですね。
  如来様を拝み奉るということ。般若経の側からもそうです。そして、如来様を拝み奉るうちに、空の世界が開けてくると書かれているんですね。空外上人は、自らそれを体験なさったんです。
 以上第一番目に念仏三昧と大寂静三昧とが一つということ、そのことを無量寿経というお経に基づいて説明しました。
▲トップに戻る

「般若心経」全体が
「南無阿弥陀仏」

 今度は、般若心経についてお話しします。般若心経は、訳が沢山あります。訳が沢山あるということは重要な経典の証拠です。
 仏教では「八万四千の法門」と言いまして、そのくらいお経があるんです。膨大な経典がありますが、その中で一回しか訳されないお経もあります。たとえば感無量寿経等です。三部経の中の一つです。般若心経はさすがに重要な経典ですから、七通りの訳がされていきます。
 第一番目の訳者は、鳩摩羅什三蔵(くらまじゅうさんぞう)と言います。般若心経の最初の訳は、だいたい五世紀頃、この訳者は四百十年頃亡くなっています。
 二回目に訳されたのが、玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)です。有名な孫悟空の物語の原点であります。中国の人ですが、唐の時代にインドまで行って帰ってこられて、やがていろんな脚色をして孫悟空がでてくる「西遊記」ですね。この玄奘訳の般若心経が、私たちのいつも読んでいる般若心経です。比較してみると大変な違いがでてくるんです。
 羅什訳では最初に『観世音菩薩』とでてくるんですが、玄奘訳では、『観自在菩薩』とでてくるんです。
 両者とも、インドのサンスクリット語をマスターしているんですが、違いがでてくるのはどうしてでしょう。
 
鳩摩羅什三蔵ですと、観世音菩薩と訳します。法華経にいくつも訳がありますが、羅什訳で決まってしまうんです。それほど羅什訳はすばらしいのですね。
 玄奘三蔵では、『観自在菩薩』と訳します。ところが、羅什の訳した『観世音菩薩』とは、お念仏者なんですね。イメージとしては。
 その証拠に観世音菩薩のおつむには必ず阿弥陀様がまします。これが観音様か、観音様でないかをきめるんです。おなじ姿をなさってましても、ここに(おつむ)阿弥陀様がましまさねば、観音様になりません。
 空外上人のお師匠様は、藤本浄本上人様、山口県大島郡の方なんです。藤本上人のお師匠様が山崎辮栄上人です。空外上人は、藤本上人のお寺で回心(えしん)されたんですね。そういうご縁があります。
 わたしも学生の頃、空外上人からお師匠様の藤本上人の話をよく聞きました。ある画家がやってきて、「観音様の絵ができました」と言って藤本上人の所へもってこられたんです。それを見て、藤本上人は、「これはどこの女給さんですか?」と聞かれたんだそうです。それは、「おつむ」に如来様がいらっしゃらないからそうみえても仕方ないのですね。
 お念仏をしておれば、観世音菩薩ということになります。観世音菩薩の何よりの特色づけは、その決め手は「おつむに阿弥陀様がましますかということ、つまり、お念仏があるか」ということです。観音様の観音様たる所以は、お念仏があるかということですね。
 だから、観音様は何処かにまします方と思っている間はまだ仏教ではありません。皆さんがお念仏をなさるときは皆さんご自身が観音様ですよね。
 ただ、みなさんの場合はすぐに心があちこちいきますからね。『はやがわり観音』(笑い)といいます。
 自分がお念仏をするときに、皆ひとりひとりが観音様になっていく、そこに大乗仏教の本当の意味があるんです。
 ところが、「観自在菩薩」というのは般若心経をよんでも念仏のねの字もでてこないんです。
 しかし、般若心経の全体が南無阿弥陀仏なんです。それは、『観世音菩薩』が実は『観自在菩薩』だからなんです。
 羅什三蔵と玄奘三蔵は別の訳をしていますが、インドのサンスクリットの原語は一つなんです。少し難しくなりますが、説明しますと、
Avalokitesvara Bodhisattva(アヴァロキテーシュバラ ボディサットバ)、空外上人が詳しく説明していらっしゃいますので読んでみてください。ここできると(Avalokite / svara eとsの間)、観世音菩薩になります。svaraは、サンスクリット語で音とか声という意味ですね。羅什三蔵はここ(eとsの間)できったんですね。
 Avalokitesvara(アヴァロキテー シュバラ)。lokite(ロキテー)というのは、英語でいうところのルックと語源はおなじです。look at(ルック アット)という語があるでしょう。サンスクリット語と英語は似てるところがあるんですね。
 Ava(アヴァ)は丁寧にとか良く見る、アヴァロキテーシュバラ、音を感ずるという意味になりますね。
 ところが、eがクセモノでして、a + i(アーとイー)という二つの母音が重なって、エーという発音になるんです。
 玄奘三蔵はavalokita(アヴァロキタ)で切って、後をisvara(イーシュバラ)と訳したんですね。isvara(イーシュバラとは、自在です。自由といいますね。観自在ですかた本当に観ることにおいて、自由です。『ひかり』の十二月号に書きましたから、詳しくはそちらを見て下さい。
 だからなんのことはない、中国の二人のお坊さんがべつに訳したけれども、もともとのサンスクリットの原語は一つです。
 だから、同じ『観世音菩薩』が『観自在菩薩』とひとつです。すなわちお念仏と空の実践とはひとつなんですね。お念仏をすることは、般若心経の空の実践をしていることになります。
 なにもかもなくなっていくという働きが、念仏のなかにあるんです。また、お念仏をしていると自由になるそうなんです。

お念仏の深まり
無上−甚深−微妙・法

 最近では、各宗で『開経偈(かいきょうげ)』を最初にあげます。これは本来は浄土宗だけのものだったんですが、便利ですから、各宗があげるようになりました。
 「無上甚深微妙法(むじょうじんじんみみょうほう)百千万劫難遭遇(ひゃくせんまんごうなんそうぐう)」
 百千万劫という無限の時間をかけても遭うことが難しい。「我今見聞得受持(がこんけんぶんとくじゅじ)」見聞し奉る。「願解如来真実義(がんげにょらいしんじつぎ)」願わくは如来の真実義を解せん。
 一行目のに無上法、甚深法、微妙法がでてきます。
 これは、わたしがまだ駆け出しの頃の話しです。増上寺に椎尾辮匡博士(仏教を徹底的にマスターした方)がいらっしゃいました。その先生が、無上法、甚深法、微妙法、この三つで仏教全体をおさえているんだとおっしゃった。
▲トップに戻る

「無上法」とは
悟りの世界

 『無上法』というのは、『お釈迦様の悟りの世界』をいいます。縁起の法を無上法といいます。お釈迦様とそれ以前の教えとの違いは縁起の法によります。それを無上法といったんですね。
 サンスクリットでは、「阿耨多羅三藐三菩堤(あのくたらさんみゃくさんぼだい)」、般若心経にでてきます。中国人は、「無上等正覚(むじょうとうしょうがく)」、と訳しますが、「阿耨多羅」、とはどういうことかと申しますと無上と訳されています。サンスクリットは英語やドイツ語と同じですから形容詞に、原級、比較級。最上級とがあります。「阿耨多羅」というのは、「upper」、(アッパー)より上の、という比較級です。比較級に対してそれを否定する『あ』を加えますと、これ以上うえがないということになりますね。両方とも母音ですから英語と同じで間にnをつけて読むわけです。「あのくたら」と。
 比較級があって、それをもう一つその比較するものをこえていく、STで最上級を作りますが、その最上級STさえも越えていくんですね。
 空の思想というのは、固定観念を否定していきます。突き破っていくんですね。つまりそういう意味で「無上」ということです。
 たとえば、ウイーンを流れるドナウ川、「麗しき青きドナウ川」という歌がありますが、行ってみますと川は青くありません。澱んでいます。しかし、川は青くありたいという相念の中に、ドナウの青があるんです。
 極楽もそうですね。みたところ、どこにも極楽はないのですが、我々の現実を越えた処にお浄土がある。法然上人の教えはそういうたて方です。
 ウイーンの人たちの青もそうですね。どこにもないけれども、究極の青の世界がある、という青を歌った歌です。ところが、地中海の広がるイタリアの青は、底が抜けたようになっているんです。青というものがあれば、それをつきぬけて青がある、底抜けの青。
 あえて、悟りのうえから言いますと、「阿耨多羅」というのは比較級を絶したところですね。それが「阿耨多羅」、縁起の理法という「無上法」として説いた、固定化した絶対的なものを否定していくんですからね。

「甚深法」とは
 深まり

 ところが「甚深法」というのは、膨大な般若経を読んで、初めてわかってきます。空がわかってくると甚深がわかる、般若波羅蜜には必ずといっていいほど、深般若波羅蜜、行深般若波羅蜜、深がわからないと、深まりようがないですね。空外上人は一生にわたってこのことをしてこられたんですね。
 漢訳で読んでも分からないところがあるんです。行深般若波羅蜜多、甚深なる深般若波羅蜜を行じ給う時、(空外上人の戒名になっています)。すなわち、あらゆる固定性、限定性を突き破っていくところに甚深という考え方がでてきます。すなわち甚深法の世界とは般若経の世界ですね。
▲トップに戻る

「微妙法」とは
 念仏の世界

 「微妙法」というのが念仏の世界です。「無上法」があって、「甚深法」になって、「微妙法」となる、転換をなすんです。縁起の法がでてきませんと、甚深の法がでてきません。また、お念仏はでてきません。お念仏というのは、一面から言えば、無上法の実践です。縁起の法の実践です。
 これは、空外上人のお師匠さん、辨栄上人に教えていただいて、空外上人が非常にやかましく、お説きになったことなんです。
 『佗仏を念じて自仏を作る』これは観無量寿経というお経の中にでてきます。お釈迦様は、「考えるとはどういうことですか(経我思惟)」という質問に答えて、「考えるとは考えることによって考えられたものと考えるものが一体化していく」、観無量寿経にでてくる言葉です。
 つまり、お念仏をしているときに、わたしたちが、阿弥陀様になっている側面と、空になっている面と両方の側面があるんですね。一方だけではないのです。
 お念仏をしていると、何もかも無くなってしまうという世界があるんです。「この三昧をうれば、空三昧を得ること」だとか、「空定(くうじょう)を得」。最も古いインドの大乗仏教のお念仏の経典が最初から空と一つになっているんですね。
 辨栄上人の弟子に、九州に大谷仙界(おおたにせんがい)というお坊さんがいました。
 炭坑の町だったので、檀家の人たちが荒っぽく、お寺さんも荒っぽい人だったそうです。
 笹本戒浄上人も、なんともいえない威厳があって、人びとを圧倒されたそうです。
あるとき、千葉県に大串法道(おおにしほうどう)という、浄土宗のお坊さんがいました。雲をつかむような大男です。偉神とか威厳というものが、お念仏の中に整ってきます。
 大勢至菩薩がそうですね。大宇宙が勢至菩薩の威神力に圧倒されて宇宙が振動していく。人間を形成していくときに、偉神とか威厳というものがでてくる。
 その例をお話し申し上げますと、あの荒っぽい大谷仙界上人も、一発で辨栄聖者に帰依していかれます。その大谷仙界上人に差し上げられた手紙のなかにでてくる言葉、『すべてを おおみおやに おまかせもうしあげて、つねにおおみおやを念ず』、なにもかも投げ出して念仏をするということです。
 何々して下さいと、願い事をしながらお念仏をするのは『くれくれ念仏』(笑い)といいます。そうでなく、すべてを阿弥陀様にあずけてお念仏をするのです。
 
でも、そこでいろんな誤解が生じます。すべてをお任せするわけだからそれだけでいいんだ。と座りこんでしまう宗派があるんです。浄土真宗ですね。
 道元禅師も晩年に『ただ身をも 心をも放ち忘れて 仏の家に投げ入れて それに従いもていくときに、おのずと悟りがひらかれる。』
 お任せ申しあげたうえで、お念仏申すということが重要です。他力の念仏というのは、そこを言うんですね。
 法然上人の言葉に、『たった一遍の念仏でも自力の念仏は自力の念仏だ、朝から晩までとなえにとなえても他力の念仏だ、少しだけとなえるのは他力でたくさんとなえるのは自力の念仏だ。というのは、いと僻事(ひがごと)なり』と、おっしゃっております。やはり、お念仏を申さないとだめですね。最近の浄土真宗はもうお念仏を申さないです。
 そこで、お念仏をする時の心構えですが、「すべてをおおみおやにお任せ申しあげて、その上でお念仏を申す。おおみおやはいつもあなたの真正面におわします。」ここが大事ですね。いつも阿弥陀様は側にいてくださるんです。大乗仏教はそこから始まったんです。
 それから、「心がだんだん統一するに従って、あなたの心はなくなる」ということです。
 そして、「残るところただお慈悲の如来様ばかりとなり候」
 この二つが、お念仏では一つになっているんですね。空の悟りの他にお念仏があるわけではないし、お念仏の他に空の悟りがあるわけではないのに、中国仏教で二つに分かれてしまったんです。
▲トップに戻る

「佗仏を念じて
   自仏をつくる」

 この心仏を作る、「是心作仏 是心是仏 諸仏正偏地海 従心想生」、お念仏のなかに、一声一声のお念仏のなかに、私たちが、仏へとかわっていく側面、仏へ向かっていくとこころの人間が形成されていくのです。
 『佗仏を念じて自仏をつくる』佗仏というのは縁起の理法からいうと、阿弥陀様が縁となって、私たちのなかに仏様が形成されていく、縁起の理法から離れるときに、自力と他力の対立が起こってきます。
 一声一声のお念仏をしているときに、縁起なんです。自分の心に固定してしまうのでなくて、念仏の中で心はつねに躍動しています。
 無上法というのはここをいいます。『佗仏を念じて自仏をつくる』、仏様を思い奉るときその気持ちが仏様になっていくんですね。ほんとに尊い阿弥陀様を拝み奉るとき私たちのなかに、尊い心がおこってくるんです。
 人間の高貴性、阿弥陀様が高貴だから、わたしたちが阿弥陀様を通して人間の尊さに目覚めていく、またいつのまにかお念仏を通して自分が無くなっていく世界があります。
 その方面をクローズアップしたのが、観自在菩薩ですね。観自在菩薩の他に観世音菩薩があるわけではない。お念仏をする観世音菩薩が般若波羅蜜多を行じ給う観自在菩薩でもあります。
 二つが一つになっているわけで、空外上人ご自身がそうでした。
 般若心経について空外上人の解釈は、『ひかり』の十一月号、十二月号に書かせていただきました。
 でも、ただ空外上人だけのことにしている間は、だめなんですね。皆さん一人一人が、お念仏をして、一人一人が空外になっていかないといけない。空外、すなわち空が外に働き出していかないといけない。
▲トップに戻る

「般若波羅蜜多の世界」
と「お念仏の世界」は
ひとつ

 わたしは西洋の新しい学問の中で、空を現象学という言葉を使って説明するようにしています。現象学とは十九世紀から二十一世紀にかけての新しい学問の方法です。
 空が私の中から働き出してくることですね。
『お浄土の現象学』といってもいいですね。死ぬまでお浄土にいけないのではなくて一声一声のお念仏の中にお浄土の悟りが経験されていく、冬の寒い中にあって春の世界が訪れてくるようなものですね。
 二つを分けてしまったのは、中世の浄土宗です。お浄土は西方十万億の彼方にある、ここ娑婆世界と峻別する、というのが法然上人からの教えでしたけど、辨栄聖者の教えはそのお浄土の世界がわたしたちの日常の世界の中に働き出してくる、その働きのひとつとして、空の悟りというものもあるんです。
 お念仏をしていますとそのお念仏のなかに悟りが開けてくる、その点からいえば、浄土宗も禅宗も真言宗もありません。
 『月影の いたらぬさとはなけれども ながむる人の心にぞすむ』私たちの中に阿弥陀様が働き出してくるということです。月影の歌の大切なところです。
 法然上人の言葉、『生けらば念仏(ねぶつ)の功(こう)積もり、死ななば浄土に参りなん』念仏の功、念仏の功というのは如来様の不思議な力が働き出すということです。
 そこでは般若波羅蜜多も加わってきて、私たちがほんとに自由にやっていけるんですね。
 観自在菩薩、平等というのは仏教の専門用語で、空外上人は詳しくお説きになりました。しかし、平等がイコールという英語になってしまったら最後ですね。現在、おそるべき文化破壊が起こっているんです。
 学問もお念仏がないとだめですね。空外上人は、いろいろなことを教えていただきましたけど、二十一世紀は益々行き詰まりの状況にあって、空外上人の教えをもう一度あらためて受け取らせていただくということが、大切ではないかと思います。
 お経に観世音菩薩、観自在菩薩がでてきますが、本当は私たちの救われている姿だと思ってお念仏の実践をしていただくということ、これ以外にはないのではないかと思います。
 禅宗では空を説き、浄土宗では死んだら極楽にいく、という一辺倒なものではない。般若波羅蜜多の世界と、お念仏の世界が本当に一つだということに、気づかせていただくのも私たちの日常のお念仏の生活のなかでのことと思います。
 結論を申しますと、『念仏』と『空』は一つということです。それは大乗仏教を一貫して流れている表裏一体のものです。分かれてしまったことに今の仏教の不運があると思います。しかし、念仏の生活の中で統一していくことが大切なことだと思います。
 (文責 増田文匡)

記 念 講 演   平成14年10月13日
 
▲講演目次に戻る

 
Copyright(C) Faundation Kugai Memorial. All rights reserved.
å