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山本空外上人 |
湯川秀樹博士 |
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日本人初のノーベル物理学賞受賞者湯川秀樹博士(1907〜1981)は、あまりにも有名でありますが、宗教家にして偉大な哲学者である山本空外上人(1902〜2001)を知る人は、あまりありません。
京都知恩院の特別墓域内には、山本空外上人の墓所があります。その墓所の背面には、湯川秀樹博士のお墓があります。 |
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空外上人は、素粒子物理学者である湯川博士と並んで眠っていらっしゃると思うと感無量です。それは、私もかつて素粒子物理学を研究していたことがあり、そして現在、不思議なご縁で空外上人の著書に感銘を受け、その教えで生きる喜びに目覚め、空外記念館理事長になっているのです。
湯川博士と空外上人の共通の思いは、世界の平和を祈願されたことでした。湯川博士は、アインシュタイン博士(1879〜1955)と共に核兵器出現を憂い、「ラッセル・アインシュタイン宣言」に署名され、スミ夫人やアインシュタインたちと核兵器を廃絶し、平和な世界をめざす『世界連邦』構想を説き続けられました。 |
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空外上人の墓
=京都・知恩院特別墓城 |
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湯川博士の墓。左の自然石は空外上人の墓標の裏面=京都・知恩院の特別墓城 |
空外上人は、御自身も被爆され、原爆という20世紀の最悪の深刻な被害を目の当たりにして、「罪のない大勢の人を殺す戦争のある限り、人間とは言い難い、人間が人間になっていくためには、どういう心がけが必要かということで『無二的人間形成』にとりくんでこられました。それは、いかなる個人存在も孤立したものとしては成立しない。必ず他のものに依存して存在しているという仏教の根本である縁起の法から、自分の心を深めながら、自分が自分に帰り、他人をも、また取り組む相手をもすべて生かしていくという、自・他ともに平和で幸せな生活がまっとうできるという『無二的な生活』を説き続けられました。『無二的な生活』を易しく言えば、すべてのことは「おかげさま」であり、自分の手柄で何かができたということはないと言うことになります。自分で何かを成し遂げたと思っていたが、よく考えれば、多くの人のおかげだったということなのです。だから相手を生かすということが大切なのです。
湯川秀樹博士の戒名は、「無礙光院殿照誉慈済秀樹大居士」と墓誌にありました。この中の「無礙光」は、「無量寿経」の中にある「十二光」のひとつです。
空外上人の戒名は、「通蓮社達誉上人法性阿行行一者空外大和尚」であります。この中の「一者」とは、エジプト人の哲学者プロティノス(205〜270)が神と同一視したもので、「一なるもの」(ト・ヘン)といいます。念仏の行者であられた空外上人におかれては「阿弥陀仏」を意味します。
湯川記念館は、基礎物理学研究所として京都大学理学部構内に創立されました。そこは、理論物理学領域における国際研究拠点であり、日本における理論物理学教育及び研究の中心的存在です。空外記念館は、世界平和と人類の安寧のための精神性の発露の場として平成元年に創立されました。
空外記念館は、雲南市加茂町大崎の隆法寺にあり、毎年10月1日〜31日の期間のみ開館しています。そこでは、空外上人が『無二的人間』を求道される暮らしの中で、心の糧とした文化資料、美術工芸品、学術文献とともに、「いのちが躍動する心の書」といわれる空外先生の書を収蔵、展示しています。
(空外記念館理事長、島根県立大学短期大学部名誉教授) |
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