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鑑賞のよすがに

 
 
空外記念館理事長  江 角 弘 道
「□△○」と「一二三四三二一」

仙豪`梵(せんがいぎぼん)(1750〜1837)は、江戸時代後期の臨済宗妙心寺派の禅僧です。禅の教えを独創的な禅画でもって布教しました。空外記念館にも仙黒Mの禅画・仙人の図があります(図1参照)。
 
図1.仙人の図 仙黒M 江戸時代

 仙国T師には、次の「□△○」という禅画があります(出光美術館)。

図2.「□△○」 仙黒M
(パンフレットIDEMITSU ART GALLERYより)
これは、「□」「△」「○」という図形のみを描いたシンプルな図です。左端には「扶桑最初禅窟」の落款があります。聖福寺は、建久六年(1195年)に、栄西禅師を開山として創建された日本最古の禅寺です。後鳥羽上皇より、日本で最初の禅寺である事を意味する「扶桑最初禅窟(ふそうさいしょぜんくつ)」の号を賜わりました。この画は、画中に作品解釈の手がかりとなる賛文がなく、仙国T画の中では最も難解な作品とされていて、「○」が象徴する満月のように円満な悟道の境地に至る修行の階梯を図示したとも、この世の存在すべてを三つの図形に代表させ、「大宇宙」を小画面に凝縮させたともいわれ、その解釈には諸説あります。

 俳句「朝顔に つるべ取られて もらい水」で有名な加賀千代女(1703〜1775)は、この「□」「△」「○」を俳句で詠みました。
蚊帳のすみ ひとつはずして 月見かな
ここで、蚊帳は、4角を紐で吊るしますから四角「□」を表し、角をひとつはずすと、三角形「△」になり、そこから丸い満月「○」を眺めたと言う句です。

図3.一二三四三二一 空外書 昭和六十三年(1988)

 空外上人に「一二三四三二一」という墨蹟があります(図3参照)。
 これは、「仏様のいのちの展開して行く過程」を表したもので、「一二三四、四三二一」と読みます。「一二三四」のところは、私たちの心の中にまします阿弥陀如来さまのいのちが展開していくところで、仏道修行の降り途といわれるところです。「四三二一」のところは、私たちの心の中に展開してきている如来様と共にありたいという願いで、心の中の如来様が働き出すところです。これは、仏道修行の昇り途といわれるところです。
 空外上人は、念仏の話をされる時は、図4のように三角形「△」で「仏道修行の降り途昇り途」を書いて説明されたということです。
 
図4.仏道の降り道と昇り道(空外上人)

 この三角形を少し強引ですが、下図のように変形して行くと、仙国T師の「□△○」という禅画になるように思えます。すると、「□」は、衆生を表し、「△」は、仏道修行のプロセス(仏道修行の降り途と昇り途)を表し、「○」は満月で象徴される如来の悟りの境地を表すと考えられます。

 

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