空外上人は、「無二的人間の形成」を提唱された。『無二的』の二とは、自分と相手の二つである。その相手は、自分が出会うすべてのものである。だから、相手が「人」のときもあれば、「国」のときもあり、「動物」、「植物」、「物」、「道具」、「機械」などのときもある。この相手を生かしきっていくのは、自分の心の深さによるほかはない。相手を生かして、自分のはたらきが実ることを『無二的』という。反対に相手を自分勝手にして争い、共倒れになることは、無二的ではない。 空外上人は、この無二的人間の生き方を身をもって示された。
一方、華道家の鈴木榮子氏は、著書「いけばなにみる日本文化」の中で、「いけばなの根幹をなす哲学とは『いかす』精神である。いのちを保つように生かすという意味であり、また、対象の持つ特色を引き出して活かすという意味でもある。『いかす』と『もったいない』は表裏一体であり、つまり、『いかさない』のは『もったいない』のである」と述べている。
鈴木氏の見つけたものは、いけ手の植物に対する肯定的な認識で、相手を『いかす』ことで自他ともに生きるという精神である。東洋哲学の根本から生まれたいけばなの精神は、他国、特に西洋の花飾りとは一線を画している。
『生かす』こころを持つ「いけばな」は、『無二的』ということに通じている。 |