私は、空外記念館を設立された初代理事長の山本空外上人(1902〜2001)に直接お会いしたことはありませんが、空外上人は広島大学教授を昭和41年3月に定年退官されています。私は昭和38年に広島大学に入学しています。従って、3年間は同じ大学にいたことになりますが、空外上人は文学部で、私は理学部でしたので、全く会えませんでした。
ところが、平成9年頃に不思議な縁で、出西窯の多々納さんの主催されます「心経会」という空外上人の「般若心経」について講話の本「念仏と生活」を読む会に参加することになりました。初めは、あまりよくわかりませんでした、ところが、平成11年12月26日に二十歳だった私の娘が交通事故で即死するという私にとって大事件がありました。これは、それまであまりよく考えていなかった「生死の問題」つまり「生きていることは、どういうことなんだろう」、「死んだ娘はどこにいったのだろう」と真剣に考えさせられる大きな転機となりました。その後、また心経会で「念仏と生活」という本を読んでみますと、空外上人の話がよくわかるようになりました。
そこには「この世のことは、すべておかげさまです」ということが述べてあります。考えてみれば、生きているということは、太陽や、空気や、水や、食物や、人やいろいろな物のおかげで生かされているということなのです。すなわち「空とはおかげさまのことであり、また『無自性』ともいう」と述べてあります。私は、この「おかげさま」という言葉に、本当に救われた思いがしました。
その後、多々納さん所蔵の空外上人の著書などで、空外上人のことを深く知れば知るほどに本当に偉大な人だとだんだんとわかってきました。今も空外上人の偉大さをさらに知るために、前理事長の河波昌上人の話を聞いたり、かって空外上人が上首上人をされていた光明修養会の行事にも参加しています。
空外上人は、東西の宗教に精通した哲学者で、昭和11年から、広島文理科大学教授として、大学で教鞭をとっておられました。ところが、広島で原子爆弾に遭遇され、空外上人にとって人生の大き転機を迎えられました。これを機に出家し、浄土宗僧侶として、世界平和を実現する生き方を考え続けられました。そして、「対立を超え、相手を生かしてわが心を豊かに深める「無二的人間形成」の生き方こそ世界平和を約束するものである。」と思索されて、その「無二的」な生活をまっとうしてゆくということで、空外記念館を設立されました。だから、空外記念館設立には平和への願いが込められています。このことにつき、平成元年10月15日の開館記念講演の中で、空外上人は次のように話されている。
「原子爆弾に遭わなければ、私は僧侶にもならぬし、またしたがって、ここには縁がございませんから、記念館もできない結果になりますけどけれど、あの地獄という言葉も当らぬような、さらに深刻な被害を目の前にして、私自身、九死に一生を得て、本当に、勝つも負けるも、罪のない大勢の人を殺したりする戦争のある限り、人間とは言い難いのではないかと思いまして、人間が人間になっていくのには、どういう心がけが必要とかいうことで、「無二的人間の形成」ということに取り組むことになりました。
もとよりそういう方向で学問の研究もし、自分も宗教的な修養をしてきましたから、そういう背景と土台で、原爆の被害を目にすると同時に出家して、もともと仏教の根本でもある、自分の心を深めながら、自分が自分に帰り、他人をも、また取り組む相手をもすべて生かしていくという、自・他ともに平和で幸せな生活がまっとうできるはずだということで、この私の米寿の記念に「空外記念館」が発足できることになりました。これからの世界文化は、この「無二的人間形成」、つまり自分も最善を尽くすが、相手も生かし切って、ともども平和なうちに、人間の値打ちのあるような生活を実らし切っていくという、「無二的人間生活」しかございません。
ここで、相手を生かす相手とは、「人」のときもあれば、「会社」、「国」のときもあり、「道具」、「機械」あるいは「自然」など出会うすべてのものである。「多くの人は、「損」とか「得」とかいって、生活している。ところが、「損」とか「得」とかいうものは、考えてみると、実体がなく、例えば原子爆弾で被害を受けた人が一番の損で、これほどつまらぬことはないようですが、そのつまらぬことのおかげで、私は出家して、このお寺(雲南市加茂町の隆法寺)の住職になったので、ここにこういう、世界に一つしかない記念館もできたわけで、原子爆弾という一番望ましくないことでさえ、おかげにすることもできるのです。」
この「無二的人間の生き方」は、念仏の行を生涯にわたって行じ続けられた空外上人の思索の到達点であり、「無二的」という言葉も上人によって名づけられたものである。ただ「無二的」という語が、一般にはあまり使われていなく、難解な言葉です。ここでは、童謡詩人金子みすずの詩「こだまでしょうか」を例えに考察を試みます(この内容は、平成20年8月23日付の山陰中央新報文化欄に掲載された)。
こだまでしょうか(金子みすず作詩) |
「遊ぼう」っていうと 「遊ぼう」っていう。
「馬鹿」っていうと 「馬鹿」っていう。
「もう遊ばない」っていうと 「遊ばない」っていう。
そうして、あとで さみしくなって、
「ごめんね」っていうと 「ごめんね」っていう。
こだまでしょうか、いいえ、誰でも。 |
こだまは、こちらが言ったことを受け取って、そのまま返してくれる。だから、「こだまする」とは、こちらの存在を丸ごと受け入れて返してくれる行為であり、返ってくる時は、半分の大きさになって戻ってくる。私たち同士、又は私たちと自然の間は、互いにこだますることによって成立している。私たちが子供の時、お父さん、お母さん、おじいさん、おばあさんに、怪我をして、「痛い」といったら、「痛いね」といってくれました。痛い時に、「痛いね」といってくれたおかげで、私の痛さは半分になったのです。さらに、「痛いの、痛いの、飛んでいけ!」とこだましてくれ、こころに添ってくれたおかげで、私の痛さはいつの間にか消えていったのです。
最近は、若い人たちが理由もなく「殺すのは誰でもよかった」と言って、理不尽に人を殺す事件が増えています。なぜそんな行為をしたかを問われると「父親が自分を受け入れてくれなかった」とか、「会社で、自分を受け入れてもらえなかった」など、だれも自分を理解してくれず、受け入れてもらえない孤独のただ中で犯行に及んでいるようです。昔のように「こだまする」大人が少なくなってきているのでしょう。「こだまする」ということは、「他者に寄り添う」という生き方であるともいえるでしょう。
ドイツの諺に「悲しい時に、共に悲しんでくれる人がいると悲しさは半分になる。うれしい時に、共に喜んでくれる人がいるとうれしさが倍になる。」があります。これがこだまの働きと考えられます。
私は、「こだまでしょうか」の詩に一行を加えてみたいと考えました。それは、「『南無阿弥陀仏』というと、『南無阿弥陀仏』っていう。」というフレーズです。念仏をすることは、阿弥陀様と“こだま”することであると思います。念仏をすることは、如来様に何かを祈ったり願ったりすることではなく、こだますることであると思います。だれも自分のことをわかってくれなくても、念仏することで阿弥陀様はわかってくださる。阿弥陀様はこだましてくださるのです。
空外上人は念仏について、「お念仏は「アミダさま」の近くに坐って、「アミダさま」と対話することなのです。自分の命の親と対話するのです。自分の生きていることの深さを感じ取っていきてゆくわけです。大自然を生きるという味わいを一人ひとりなりに悟っていくのです。それは、本を読んだのでは悟れないから、お念仏をして、「ナムアミダ仏」「ナムアミダ仏」と一声ごとに、命の親さまと対話していくのです。そこに縁起の土台があります。」(山本空外講述、念仏と生活)と語っておられます。
南無阿弥陀仏(Nam amita Buddha)は、サンスクリット語の音訳です。その意味は、南無(Nam)が、屈する、頭をさげること、帰命、帰依という意味です。阿弥陀(a mita)は、aが「無」、「否定する」で、mitaが「計量する」、「計算された」の意味で、あわせて「計量できない」、「量り知れない」、「無量」となります。いのちは計算できない。仏(Buddha)は、覚者(悟れる者)の意味です。従って、南無阿弥陀仏は帰命無量寿仏とも言われます。「いのちの根源」、「おおいなる命」に帰依するとの意味になります。
『無二的』とは、相手を生かして、自分のはたらきが実ることをといいます。これは、相手と私がこだましあって生きてゆくことを意味していると考えます。「こだまする」とういことを換言すれば響きあうことあるいは共鳴しあうこととも言えます。無二的な生き方とは、「響きあう・共鳴しあって相手を生かし自分の心も深める生き方」と考えます。 それは、相手との共存、共生ということでもありますから、「相手を助け、相手にに助けられ、また同時に相手に寄り添う」という生き方になります。最高の相手は「アミダ仏」です。
NASAのボイジャー計画で、ET(地球外知的生命体)探査にも関与された宇宙物理学者の佐治晴夫氏は、科学者の立場から、「私達の体を構成しているすべての物質は、星が光り輝く過程でつくられ、その星が超新星爆発というかたちで、終焉を迎え、宇宙空間に飛び散った、その「星のひとかけら」です。つまり「自然の分身」です。だから、他と共存、共生をしていることになり、「他者に助けられ、また同時に他者に寄り添う」という生き方でしか生きて行けない」と述べています。(佐治晴夫著:からだは星からできている)
金子みすずの次の詩は、そのことを語りかけています。
さびしいとき(金子みすず作詞) |
わたしがさびしいときに、よその人はしらないの。
わたしがさびしいときに、お友だちはわらうの。
わたしがさびしいときに、お母さんはやさしいの。
わたしがさびしいときに、ほとけさまはさびしいの。 |
ところで、「こだま」を辞書で調べると「木霊・谺」と書いてあります。その意味として@樹木の精霊。木魂、Aやまびこ。反響。とあります。
今年は、5月16日から、京都の知恩寺で開催される光明修養会主催の「法のつどい」に参加するために、前日の15日に京都に着きました。この日は葵祭の日で、天気も良く見物に出かけました。平安時代の王朝絵巻そのもののような華麗な行列を見た後、下鴨神社にお参りをしました。そこにある史跡糺(ただす)の森(高野川と鴨川の合流地点にある森、偽りを糺す神=“糺の神”が鎮座する森)を散策し、多くの樹齢何百年という大木を見ている時、不思議な神々しさを感じました。これは霊性とも言うべきものではなかろうかと思いました。
松尾芭蕉は、日光東照宮に詣でた際に、「あらとうと、青葉若葉の日の光」という句を詠みました。これは、境内の初夏の青葉若葉が真昼の光あふれる中で輝かしく照り映えている一大光明の世界への感応道交が表現されています。「日の光」は、社名の「日光」の意味も含めています。芭蕉は、霊性をはっきりと感じ取っていたと思えます。また西行法師は、伊勢神宮に参宮した時に、「何事のおわしますかは知らねども、かたじけなさに涙こぼるる」という歌を詠みました。「何事のおはしますかは知らぬ」と言っていますが、知らないことはない、よく知っているのです。なぜなら、かたじけなさに涙がこぼれているのですから。ただ、その事を言葉で説明できない、霊性というような言葉がなかったと考えられますが、言葉より尊い涙で説明しているのです。
私が、あの糺の森で感じたのは、樹木にある霊性であったと思えます。いつものように、心の中で念仏しながら散策している時、木霊が「こだま」してきたのではないでしょうか。考えてみれば、樹木達が光合成で酸素を作り、その空気中の酸素のおかげで生かされているのが人間であるわけです。呼吸ができるのは,空気があるからであり,それが私達を生かしている“いのちの根源”であり,“おおいなるもの”であり、霊性であり、阿弥陀如来様といえます。地球上での空気の組成は,酸素が21%,窒素が78%で残りの1%が希ガスです。もし木が無くなって酸素の割合が少なくなったら,人間は,空気の希薄な高い山では,高山病になる例でわかるように,すぐに呼吸器系の病気になります。そして,人類は呼吸困難に陥り,自滅することになります。動物が,呼吸により酸素を大量に消費しているにもかかわらず,酸素が常に21%に保たれているのは,緑色植物が光合成により,酸素を常に供給しているためです。さらに動物は,呼吸により二酸化炭素を排出して,植物の光合成の役に立っている。これは、人(動物)と樹木(植物)の間の「こだま」と考えられます。実は、人と人、人と自然、私たちの世界は、すべて“こだま”で成り立っているのです。今、世界的な問題となっている環境問題は、人と自然の間のこだまがうまく成立していないことから起きているのです。人間が、共生ということを忘れて、その欲望のため自然環境を破壊しているのです。それはやがて人間自身を破滅の方に向かわせるのです。そして、こだまとは、こちらの存在を丸ごと受け入れて返してくれる相互作用の行為です。現代は、人と人の間のこだまもうまく成立していないことによる事件が数多く起こっています。
多くの現代人は、「こだま」という現象を音波の反射によるものだと科学的に分析して、それ以上のことを考えようとしません。しかし、こだまは音波の反射現象であると同時に、それを通して相手と一体になっている、あるいは相手と共生している計り知れない世界があることを教えてくれます。それは、宗教の世界です。
鈴木大拙師の「日本的霊性」という本の中には、「霊性を宗教意識と言ってよい。宗教についてはどうしても霊性というべき働きがでてこないといけない。即ち霊性に目覚めることによって始めて宗教がわかる。」、「宗教意識は、霊性の経験である。精神が物質と対立して、却ってその桎梏に悩む時、自らの霊性に触著する時節があると、対立相克の悶は自然に融消し去るのである。これを本当の意味での宗教という。日本的霊性は鎌倉時代に初めて目覚めた。」と述べてあります。
河波前理事長は、空外記念館20周年記念講演の中で、「日本的霊性は、16500年前の日本人のルーツである縄文人の時代に目覚めていた。それは、霊性などというオシャレなカッコイイ言葉は知らなくても、縄文人は夕日や雲などの自然のものから感じ取っていたはずである。」とお話をされていました。霊性は、宇宙の始まりであるビッグバンの時代から滔々と流れてきていますが、人類だけが霊性に目覚めることができたのです。この霊性は、「仏性」と言うこともあります。また、「タオ」、「おおいなるもの」、などとも言います。
現代は科学の時代ですが、生命科学者の村上和雄氏は,霊性を「サムシング・グレート(偉大なる何者か)」と名付けています。それがすなわち「大いなるいのち」です。この村上氏は、科学者として、遺伝子を研究する中で、「大いなるいのち」を感得されています。サムシング・グレートは,人間の親の親,そのまた親の親とさかのぼって,生命のもとのもとから創った「生命の親」であり,「生命の設計図」を書いてくれた大自然の偉大な力であると説明しています。サムシング・グレートとはアミダ様のことです。
宇宙物理学者の桜井邦朋氏は、著書「なぜ宇宙は人類を作ったか」において、それは「宇宙の意志」であり、「人間は、大宇宙に抱かれている存在である。知的生命を可能にするように宇宙は進化してきた。」と述べておられます。「宇宙の意志」とは、「サムシング・グレートの意志」のことです。
鈴木大拙師が言われるように、宗教がわかるとは、この霊性に目覚めることです。霊性に目覚めるということは、光に遇うことです。即ち如来の光明に遇うことです。無量寿経には、「其れ衆生有りて斯の光に遇ふものは、三垢消滅し 身意柔軟なり 歓喜勇躍して 善心生ず」とあります。念仏をすることは、阿弥陀様とこだますることであると思います。だから、念仏をすれば、「光に遇う」ことができます。念仏をすることは、仏様に何かを祈ったり願ったりすることではなく、こだますることであると思います。
空外上人は、「人間のいのちの故郷は、阿弥陀様です。そのおかげさまで我々が生かされている。ナムアミダブツ(Nam amita Buddha)は、命の根源を指す言葉です。私たちは、心臓も、手足も動くようになっているし、目も見え、頭も働いています。普通はその「アミダさま」のおかげのことを思わずに生活しています。自分は「アミダさま」のおかげで生きられているということに気がついて、そうすると「アミダさま」を拝むのは、自分を拝むことにもなるのです。同時に自分を拝むのは、「アミダさま」を拝むことになるのです。」と語っておられます。
念仏しながら、他のすべてのものと響きあい・共鳴しあって、阿弥陀様のおかげに感謝して生活をしていきたいと思います。それが無二的な生活であり、平和を約束するものであると思います。 |