多くの偉大な思想家たちにはその生涯にわたる歴程においてそれぞれに決定的な転機があって、それを介して前期と後期に分けられたりもする。
ドイツ近代の哲学者シェリングは観念論哲学の立場から哲学的経験論の立場へと脱却し、そこに前期シェリングから後期のそれへの転換があった。それはシェリング自身にとってのみならず近代ヨーロッパ哲学にはかり知れない意義をもつものであった。ハイデッガーも又同様であり、思惟と存在との問題をめぐって、思惟の立場からでなく、その思惟が存在からの呼びかけAnspruchであることに気づき、その転換Kehreを介して前期と後期に分けられる。
空外博士によれば法然上人にも前期後期が考えられ、その後期を具体的に展開されたのが弁栄聖書の「宗祖の皮髄」にみられるというのである。
ところで空外博士の哲学にも前期と後期が考えられる。プロティノスの研究に専念されていた時代は一者to henに感心が集中せられていたが、後期の哲学に一者のいわゆる一性から一々性(あるいは各々性)への展開にその特色がみられるようになる。一者はヌース(理性)、プシュケー(肉体)、質料(ヒューレー)へとその存在性を稀薄化してゆくのであるが、その稀薄の極限にかえって博士において一々性が展開されてゆくのである。それはヨーロッパ哲学における哲学的規範となったいわゆる形相による質料の支配としての質料形相主義Hylemorphismusの突破をも意味しているのであり、そこに私がどこまでも私自身になってゆく道が開かれてもいるのである。そして「一者はどこにもある」という観点から、どこまでもブロティノスに即しながら空外博士ご自身の更なる哲学の展開があったのである。まさにそこに空外交期哲学の一つの重要な特色をみることもできるであろう。 |