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―平成二十年九月十四日 空外記念館開館二十周年記念特別文化講演会要録―
ポスト・モダニズムと念仏

河 波 定 昌

  日本においても、また西欧においても、大きく歴史がかわろうとする時、偉大な宗教思想家が出現し、それぞれの時代を導いてゆきました。
 日本においては、古代において始めて日本古代の文化国家が誕生する時、聖徳太子(五七四〜六二二)が活躍されました。それは「篤く三宝を敬え」にみられるように仏教精神による建国でした。
 そしてまた古代が終わり、まさに中世へと時代が転換する時、法然上人(一一三三〜一二一二)が選択本願の念仏の精神によって日本人の精神を統合し、近代に至るまで一般大衆の心の支えになっていったのでした。
 そしてその念仏の精神は明治に始まる近代日本においては、希有の宗教思想家である山崎弁栄聖者(一八五九〜一九二〇)の出現によって近代ヨーロッパの精神文化と対応しつつもさらなる創造的な展開がなされていったのでした。聖者は近代において活躍されたのでしたが、その内容はすでに単なる近代といった枠を超えていわゆるポスト・モダニズムへの限りなき展望を開くものでした。聖者の念仏の教えは偉大なる宗教改革として恐らく長期にわたる後近代(ポスト・モダン)の指針となることが考えられます。
 そしてかかる弁栄聖者の深い因縁にも結ばれつつ山本空外博士の出現へと連なっていったのでした。
 他方、ヨーロッパにおいても同様の現象を見ることができます。西洋哲学はタレスThales(ギリシャの最初の哲学者、紀元前六二四頃活躍)に始まり、およそ八百年を経過してプローティノスPlotinos(二〇五〜二七〇)においてギリシャ哲学は完成するのですが、彼の哲学大系は古代から中世世界への転換点に立つものでした。すなわち彼において完成した古代哲学は実にまたそこから中世哲学の展開の起点をなすものでした。彼の思想はやがてアウグスティヌスAugustinus(三五四〜四三〇)に連なり、いわゆるキリスト教的プラトン主義としてその後のヨーロッパ精神の土台となっていきました。ヨーロッパ中世はこのようにして一千年間も続くのですが、やがてその中世が終りを告げて近代の先駆たるルネッサンスが始まろうとする時、又もやヨーロッパにおいて最大の宗教思想家たるニコラウス・クザーヌスNicolaus Cusanus(一四〇一〜一四六四)が活躍し、中世から近世への転換の中心点となっていったのでした。中世と近世とは一般的には対立的に捉えられることが多いのですが、彼は中世を受容し、生かしつつ、近代への出発点となっていたことが考えられます。そのことは彼の前期の主著たる『学識ある無知』De docta ignorantia(一四四〇)において、「神は包含comolicatioにして展開explicatioである。」と述べているのですが、ここで神が包含であることを説くことによって、中世と連続しつつ、またその神の展開を説くことにおいて近代思想への発端となっているのです。まさにかかる意味でクザーヌスは中世と近世の境界に立つ最大の宗教思想家だったのでした。
 そして山本空外博士こそは、古代哲学を完成したプローティノスについての学位論文を完成し、またニコラウス・クザーヌスの思想を最初に日本に紹介されるという偉大な功績を残されたのでした。
 しかも博士の功績は決してヨーロッパの研究のみに偏重するのでなく、インド哲学、中国哲学をも参研されつつ、法然上人、弁栄聖者に対する研究もまた圧巻ともいえるものであったのであります。かかる意味で山本博士自身東西両洋にわたる稀にみる宗教思想家でもあったのでした。
 博士はヨーロッパに留学時代、往時の世界的思想家たちとも交流を重ね、それらのこともまた山本博士の哲学的思惟の限りなき深まりの契機となっていたことも考えられます。
 とりわけ二十世紀を代表するドイツの哲学者、マルティン・ハイデッガー(一八八九〜一九七六)、カール・ヤスパース(一八八三〜一九六九)等とも親しく交わられ、思想的な交流がなされたのでした。彼らも二十世紀に活躍した哲学者でありながら、その思惟は近代的な次元を超えていました。前者には単なる観念論(主観主義)の次元を超えた思惟の領域への深まりがみられ、後者にはみずからの思惟のいとなみの中に超越者からの導きFuhrungに連なっていったのでした。それらは博士自身の青年時代からの念仏三昧の実践という宗教体験とも不可欠に関わりつつ、限りなき哲学的思惟の展開がみられたのでした。
 右の点からも考えられるように、山本空外博士には二つの要点が考えられます。その第一は、東西両洋にわたる総合的な視点に立って稀にみる広汎な哲学的な精神の地平が開かれていったのでした。今や東西文化のそれぞれの領域における絶対者の展開としての阿弥陀仏と一者(ト・ヘン、プローティノスにおいて展開された究極者、それはキリスト教的な神と一体化し西洋精神の核を形成する)との統合が遂行されてゆくことになりました。博士の論者『一者と阿弥陀』はかかる意味において世界史的な意義を有していることが考えられます。
 博士における功績の第二点として、東京大学におけるカントを中心とする近代哲学の研究からプローティノスや大乗仏教等の研究を通して、単なる近代としての枠組みは超えられて、必然的にポスト・モダーンの精神的世界へと突入していったのでした。博士の「南無阿弥陀仏」の名号の解釈も、単なるそれまでの浄土宗や真宗等の教義上の分斉を超えてポスト・モダニズムそのものとしてどこまでも近代を脱却してゆく新しい契機となるものでした。南無阿弥陀仏はもはや単なる古代や中世に生きた大衆を救済するにとどまらず、今や二十世紀に向ってのあらゆる人々を救いに導く原理となるものであります。
 また二十世紀の最大のロシアの宗教思想家ニコライ・ベルジャーエフ(一八七四〜一九四八) は、二十世紀において理想的人間像の消滅を説いて現代文化の危機を論じました。いずれの文化、いずれの文明にも従来それぞれの人間的理想像が掲げられていたのであり、それはインドにおいては大乗菩薩、ヨーロッパにおいては騎士道、日本においては武士道等がその典型をなすものでありました。いかに文化、文明が謳歌されても、その核に健全な人間像が存していなくてはそれは空虚という他はありませんが、博士は新たなる理想的人間像として「無二的人間」なる理想像を掲げられたのでした。博士にとって新しい理想的人間像とはかかる方向へと展開してゆかなければならず、博士みずからかかる人間形成に生涯にわたって尽力されたのでした。この「無二的人間」は二千年にわたる大乗仏教における菩薩像を背景としつつもポスト・モダニズムに向っての人間形成の不可欠の理念となるものであります。
 今回、空外記念館創立二十周年を記念するに当って、そこに蔵せられている幾多の宝物は、博士が生前集められた得がいたい宝の山々です。しかしながらそれにもましてこの記念館が二十一世紀に向って、東西両洋が一つに融合し、新しい時代の精神への発展のセンターとしての更なる展開がなされんことを心より祈念するものであります。
別時念仏会及び講演会 平成21年10月12日 於 隆法寺
 
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